多いなる学び
指導している身であっても、私はまだまだ理想を追い求める修行の身。
先日のレッスンで師匠Y氏から、レベルをうんと下げて、子供が弾くソナチネやプレ・インベンションをやらされてます(笑)
なぜ、いまさら私に!?
と思うとモーレツに反抗してしまったけれど、そもそもY氏の演奏に憧れを抱いてる私は、Y氏の前だけはドSなのです(笑)
だから泣いても叫んでも、自分自身の潜在意識はやる方向へ!
レッスン開始前にそれを弾いていると、いよいよY氏がレッスン室へ入室。
と、
「言うこときいて、偉いですね」
いや、これをきいた私は大まじめに、やって良かった事とその理由を話した。
そしてレッスン終了。
と、Y氏、ほぼ褒めない人の口からなんとも嬉しいお言葉が…!
「よさげな動き♪ありがちなパツパツの弾き方とは違う」
ほっぺが落ちそうなくらい美味し…じゃなくて、嬉しかった!
シンプルな曲でこそ、より多くの学びがあり!
ちなみに子供が弾くこのようなシンプル曲こそ、音質やペダリング、和声感やアーティキュレーション、構築感や音の意味合い…その人の素養から奏法まで丸裸にされ1㎜たりとも誤魔化し効かないから怖いのですよ。
それに、今度はそっくりそのまま私の生徒達に伝授できるしね!
それを学ばせてくれようとしているY氏には、心底感謝しかありません。
他のお弟子さんは与えていないのに、私にだけ与えられたこの課題は、誠に光栄です!
先生、ありがとうございます…!
座り方
私は時々、弾く時の体を矯正するために背もたれを使って弾いてみたりします(^^♪
これ、スッゴく楽で腕にくる負担がとても少ないのです!体格大きい人はこんな楽な思いをしてるのね…
といつも実感。
基本的にはこの体勢でバロック~近現代まで全てOK!
でも、家だから台を使えるけど…
そっか!普段履くハイヒールで調整する?
ユジャ・ワンみたいに(笑)
まぁでも、曲想が激しくなると奥行き深く座るのは無理なので、そのへんはこれからも検討の余地あり…
反復練習は必要!?
「ピアノの練習」ときけば自動的に「反復練習」を想像される方も多いのではないでょうか?
師事のY氏はこの件について大いに否定をされます。
もしその弾き方が間違いで弾けない場合に、むしろダメ弾きを癖づけてしまう、と。
逆をいえば、正しく弾けているなら反復練習などしなくても弾けてしまう、と仰います。
そう言われた数年前の当時は、なんとなく理解はできてもそれ以上には「?」でした。
でもでも!!
私自身の練習体験で最近感じる事は、
パーツや部分練習等の過程で正しい弾き方の成功実践は、脳の為(て事は身体の記憶の為)には3回が適当と思えてきたのです。それ以上は脳がサボり傾向をたどり、
思考停止→悪質内容の記憶(音やリズムの不揃い)
という経路たどってしまい、時間の損失どころか耳を悪くしてしまいます。
今まで散々ここに陥ってきた私だからこそ言える事です。それがなんと、師匠の言っていた事なのだと腑に落ちました。
以前、私はY氏の弟子だからこそのメリットとして、彼の練習風景を見せていただいた時に、確かに反復練習なぞしておりませんでした!
練習の仕方は本当に大事!
私にとってのピアノとは
私にとってのピアノとは、
仕事、趣味、遊び、
全て兼ね備えており、ようは人生の全てです。
と言ってるほどには出来ないくせにそう思うのは、出来るようになると決めてるから!
高尚な芸術に人生捧げて悔いはない。
ピアノよりもはるかに得意なものはたくさんあります。
生活圏として料理は残し、それ以外のお菓子作り、編み物、裁縫等はピアノの為に封印しました!笑
バイブル書
「スゴい社長が選ぶ私の一冊」
という番組があった。
日本酒「獺祭」社長の厳選の一冊
「清酒製造技術」
はバイブル書と唱え読み込んでいらっしゃりボロボロだった。
私も
「バッハインベンションシンフォニア」
はまさにそれに価する。
作曲家 西尾洋氏の分析にての書き込みの楽譜、常に手元に置いて、ことあるごとに目に触れさせる、まさに「バイブル書」
やはりボロボロ!
私はこの勉強あってこそ、アナリーゼができる今の自分がある。