音楽愛日記
一年ぶりの公開レッスン
先日のモスクワ音楽院の教授ピサレフ先生の演奏会に続き、今日はピサレフ先生がご指導される公開レッスンへ。
受講生たちは皆さん達者に弾ける方々ばかりですが、ピサレフ先生のご指導は私が彼らの演奏を聴いて感じたことばかりをご指摘されてた。
何かというと、
•指は上げず鍵盤の側から
•腕を高く無駄に上げない
•音がどこへ向かって行ってるか
•音の弾き分け(どこを出してどこを引っ込めるか)
•音を区分けして明確に
•イントネーションをつけて
•音を並べない
等々、私がいつもレッスンで皆さんに言ってる基本的なことばかり。
今日の方々もやはり「一生懸命弾いてます」感ばかりが悪目立ちし、音がガーガーとうるさくて芸術とは程遠い。それに対し、ピサレフ先生が時折弾いて聴かせる音楽や音は、美しくて熱い。
私が目指したいのはこれ。
(あ、一昨日のピサレフ先生の演奏会のブログ、まだ書いてなったので明日、書きますね!)
受講生はピアニストの卵。
つまり音大生や音楽の海外留学生で専門的に勉強しねる方々ばかりなのに、こういう基本的なことが意外と出来てない。
それにみんな、身体からがっついていく弾き方もダメ出しされてた。(これは毎年必ず)
私はロシアピアニズムを少し学んだ身としてこの辺りのことは当たり前すぎるんだけど、意外とまだまだ浸透してないんだな…
このマスタークラスはお盆前後に毎年開催していて、私は毎年足を運んでいるんだけど、今回もやはり基本的なことを言われてましたね。
じゃあもし、私の子供の生徒達がピサレフ先生のレッスンを受けたとしたら、いろいろ褒めて下さるのかな?
な〜んてね(≧∀≦)
必然?
心配になり診察を受けたくてもクリニックが大阪なのでそうそう簡単に行くことは出来ず、毎回質問をメールして執刀医の担当医にお電話をいただく方式なんだけど、不意の電話でもなぜか確実に電話に出られる不思議。
(レッスン中だとアウトなので)
これは偶然ではなく、神様が私を助けてくれるための必然なのかな?
またもや迷い
またまたピアノ椅子の高さに迷い始めた。
座っているだけの時の身体が支えられる楽な高さと(もちろん背もたれは使わない)、鍵盤に指を置いて指と鍵盤が馴染む時の高さが違う。
その差は2cm程なんだけど。
となると、あとは「曲によって」てことになるだろうか。
ちなみに前者の方が位置が高い。
たかが2cm、されど2cm。
努力の味を知った子
「努力すればできる」を体得している学習熱心な小4男子生徒。
先日、近所の小2の◯ちゃんと公園で会い(別の学校)僕より身長がデカくなってたと言うので「彼女ピアノ辞めたのよ…」と教えると、彼は、それはあり得ない‼️といったような絶句の表情(笑)
教育熱心な家庭の彼と、それとは真逆だった◯ちゃん。
もちろん家庭それぞれにそれぞれの教育方針がある。
でも中学生までピアノを継続させるか否かは、例外を除いてかなりその教育方針が反映されることがほとんど。
(もちろんいろんな生き方がある)
今ここに通ってきてくれる家庭の全員(100%‼️)が、親子で本当に真摯にピアノに向かい合ってくれている。
引き続き私も一人一人の指導を全力で向き合い、いずれ全ての親子さん達に「ここでピアノを習ってよかった!」「試練あれどここで継続してよかった!」て絶対に思ってもらえるようにするからね!!!
レッスン前は
レッスン前は毎回緊張する。「今日も楽しませつつ成長の種を植え芽を伸ばし、いかに栄養(学び)を与えるか」とまるで本番演奏並みの緊張。
レッスンの1時間なんて一瞬だし、少しでも隙を見せれば生徒はすぐ飽きてダラけるので(笑)、テンポよく濃く指導できるかが勝負。
さらに相手は心を持つ人間。演奏以上に丁寧に扱うことが必須。
生徒たちも暑い中の道のりを一生懸命通ってきてくれ、時間を割き、金銭をかけてくれることに対し、こちらも最大限に活かして差し上げたい。