ふれあい
人間の ‘’ふれあい‘’ はやっぱり直でないと無理、と痛感した昨日。
7月の1回を除き4月より5ヶ月間、師匠レッスンはオンラインでやって頂いてきたけど、同期型でない特質上の問題から既に精神が限界にきてた。
けど今日の対面レッスンで久々に人物に「直に」触れ、心が少し修復された♪
同時に直に‘’ふれあう‘’事の大切さがこんなにも絶大な意味を成すとは…!
雨で暗かったので、せめてロイヤルブルーを着て明るく、と思い…(^^;
カッコよさとは
人のカッコよさ、とは作り付けた物ではなくて、誠実な仕事への姿勢や人への思いやり、物事の考え方や思考等のいわゆる「生き方」が表に滲み出てきた結果の産物だと改めて実感。
今日も「カッコいい」を目指すのではなく、「誠実」を心がけて過ごします。
師匠レッスン準備
今月末より、ピアニスト師匠の私に対する対面レッスンが本格化するもよう…
師匠んち、環境変化により念願叶っての千本ノックレッスンを私にやりたがっている(笑)
受けて立つ為のレッスン準備は練習ではなく…
そこに必要な手の甲の傾斜と鍵盤に対する指の傾き&角度の検証をやっておくこと。
これこそが、その場で反応し千本ノックレッスンに耐える事のできる重要な要素、と読んだ。
…をなう(-.-)
動線
弾ける人との違いは脳内での動線にもあると思う。
動線を検証するのもこれまた重要な練習内容。
これは鍵盤の位置関係の事も含めるので、これを考えない=弾けない、てメカニズムを辿る。
生徒達を筆頭に私自身も弾けてないところ又は弾きづらい所の検証より明らか。
これらの事ってスポーツ選手が、より無駄のない近距離で身体に負担のない動線を検証する、てのと全く同じ。
「当たり前」という落とし穴
先日、私と同年代のとても気の合う女性の生徒の方に、
「前腕の2本の骨がね~、云々…」
て話をすると、
「えーっ、1本しかないと思ってましたー( ´∀`)」
て言うんで、思わず
「もう退場っ!Ψ(`∀´)Ψケケケ」
て言っちった(笑)
ここから思った事は、‘’当たり前‘’ を意外と知らないって人が多いのかな~?と。
まぁ確かに脚は1本だからねぇ。
‘‘当たり前’’ と思って接することはある意味危険、あるいはそれが仇となる事も今までの経験&見聞きしてきてはいるので、常に肝に命じなければ…