音楽愛日記
演奏は魔法じゃない
感情を込めるだけであたかも演奏に反映してしまうかのような助言をする先生をよく見かけるけど、
情感を込めるだけじゃ演奏には反映しないよ、魔法じゃないんだから…
音の存在意味(アナリーゼ)を考察した上で、生徒にはそれを反映させるテクニックを教えてあげなきゃ。
我々にとって当たり前すぎる事でも、巷の教室の先生達には意外と皆無だったりして驚く事が最近よくある…
練習の虫
世には美しい景色、夜景、街並み…魅惑的な所が沢山あるというのに、家で弾きこもる私…これでいいの?と自問自答するが答えはただ一つ。
「これでいい♪」
まあ私が育った家庭がアウトドアで多感期にあらゆる所に連行(笑)され、感動とインスピレーションを得られる身体の造りになってるからこれでヨシとする(^^♪
休憩の大切さ
休憩(手や腕、脳を休ませる)も私にとっては大事な練習のうち。
やはり筋肉も脳耳も、使えば当然疲労するのだし、それを無視してやっていたらさらに萎えて病気になる。
過去の私のジストニアはそれも要因のひとつ。
そもそも疲弊した脳と耳と筋肉は、練習の質も落とすしね。その質の悪さが耳に当たり前になってしまうと″イカれた耳″てことだから。
いつも知らず知らずやり過ぎてしまう私みたいなのこそ気をつけなきゃ…
弾く時の柔らかさとは
ピアノを弾くにおいて必要な手首や腕の柔らかさって、結局は脳の柔らかさなんだよね。
「腕をやわらかく」て言うとバレエみたくなっちゃう生徒いるけど、それとは別物…
奏法によって
ロシアピアニズムやそれに付随又は共通する人達の演奏は、バッハのジーグやクーラントのようなパリパリ系でも決してうるさくないんだよね。各スタイルの特徴がちゃんと表現されてる。
でもそれら以外の弾き方の十中八九がどうしてもうるさくて耳も心も受け付けない…
子供の頃からずっと。
そのような理由もあって、私は奏法を改善している。