音楽愛日記
リサイタルの感動
2018年5月 Y氏リサイタル
東京文化会館
プログラム
第1部:ラフマニノフ/コレルリの主題による変奏曲
第2部:J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲
この日のY氏は、ソロリサイタルにも関わらず珍しくブラックのシャツとパンツというシンプル&ラフな出で立ち…(伴奏や室内楽ではよくお見かけするが…)
通常のスーツや燕尾服ではない。
心境的な何かあるに違いない、と感じた。
舞台袖から静かに、はにかみながら、まるで空気のごとく現れた。
いつもに比べ、柔らかい雰囲気でとてもナチュラル…!
椅子に座ったと思いきや、いきなり両手を大きく広げ、ピアノ幅の両端をつかみ、前にかがみ込む…何か祈るような、あるいはピアノと共に媒介を…的な姿に見えた。
第1部、ラフマニノフ。
そう、この音この音!
いつも惚れこんでいる透明感あるクリアな音…!先生の持ち音だ。
ここ3週間ほど先生のご多忙によりレッスンがない私にとって、この音を聴くと家路に着いたかような錯覚と落ち着きを覚える(笑)
もはや私は、定期的に先生の生音を聴かないとダメなくらい惚れすぎたこの音に中毒化している。
先生の演奏の何がスゴいって、音~色彩感~和声感~表現に至るまで全てなんだけど、それらを兼ね備えつつポリフォニック(多声音楽)であるところだ。そのうえに情感がこもってる…!
そしてその作品の作曲家の「らしさ」。
ラフマが素晴らし過ぎたのはいうまでもない。
第2部、ゴルトベルク。
かつてこんなに感動的なゴルトベルクはあっただろうか…!
J.S.バッハがこの世に2段鍵盤のチェンバロの為に書いたこのゴルトベルクを、グレン・グールドが現代のピアノ1段鍵盤で弾いてみせてセンセーショナルを巻き起こしたのは有名なところだが、私もゴルトベルクといえばまぎれもなくこのグールドのCDを聴いていた。
芸術は比較ではないけれど、先生のはグールドの100倍スゴかった!!
人間の全ての喜怒哀楽と神の慈悲を見いだし、これはもうマタイ受難曲の世界!と感じたのは初めてだ。
しかもY氏は靴を脱いでの演奏!
なぜ?
一切を排除し、媒介となって一体化したい、との思いからではないか?
神聖なるものが息づいていた。
…感動のあまり私は涙を押し殺しつつ聴いていたが、とうとう最後の主題回帰への突入の瞬間、こらえきれない涙があふれ出し嗚咽が出してしまった。
心打たれた演奏には感謝しかなかった。
そこに僅かでも身をおけた自分は幸せだった…
これを書いている今も、あの感動が甦り胸が熱くなる…
♪♪♪♪♪
・・・からの2週間たった昨日のレッスンで、靴を脱いだ理由をきいてみた。
「ん?余計な音を出したくなかったから」
「なあ~んだ…それだけ?」
「そう」
考えすぎだった私…(笑)
音楽と感受性
なんていうタイトル、クソまじめなレポートみたい(笑)
感受性が、音楽には大事だなと改めて感じ、ちょっと徒然なるままに書いてみようと思います。
私の子供時代、
「なにこのステキな音~!」
「わ!なんか胸がキュンとする!」
「急に寂しい音…切ないな。」
「心が苦しくなるこの響き…!音楽は私の心をわかってくれてる!」
当時は知識など皆無であったから、それらの音が今になって音楽上で固有名詞がつくほど意味のある重要な音である事を知った。
いわゆる後付け。でもこれ大事で、知識と先入観で聴いてもそれを感じられる感性や感受性がなかったら意味ない。表現も皆無。
例えば、最もデリケートな音程である「半音」、「減七」と呼ばれる心に刺さる和音、悲劇の象徴「ナポリの六度」…挙げだしたらキリがないけれど、これらを感じる事ができて初めて表現に至る。
思えば私が子供時代に、その名こそ知らずとも感動を覚えた記憶は数知れず…
教育番組の理科の実験のBGMが未来を感じる不思議な和音(増3和音)でわくわくしたり、
テレビアニメ『アタックナンバーワン』の、根性物(笑)を見ながら流れてくるBGMの短調の響きと共に、困難に立ち向かう主人公から勇気をもらったり、
のちにはベートーヴェン月光ソナタ1楽章に、そのアタックナンバーワンとの音の作り方に共通点を見いだし感動、初めて聴いた曲なのに懐かしんだり…
今、私にとっての練習は、とても困難を極めるものであり、棘の道です。
それでも理想形を諦めず継続できるのも、過去の感受性を伴う音楽体験があったからだと思うのです。
現時点での自分がどんなにできなくても、この感受性が成長を促してくれている気がします。
皆さまにも是非、音楽表現の源「感受性」を大切にし、育んでいけたらいいですね!
ピアノの上達もそこにありき…!なのです。
音楽に一生を捧げると決めた理由
私が音楽に一生を捧げると決めた理由について書こうと思います。
・私のような悲劇や被害者を産むことなく、努力した分はピアニストのように弾けるようになる正しい奏法の継承。
・弾けない人を弾けるようにようにする。
これが私の使命だと思っています。
その為に私は生まれてきた気がするのです。
その為に私はフォーカル・ジストニアやへバーデン結節といった障害と克服も与えられたと思えてなりません。
そうすると、今まで生きてきた苦難苦悩すべての点が、線となり、綺麗につじつまが合う…!
これぞまさに神様から与えられた使命です。
ということは、必ず果たせるようになっているはず。
確かに果たす為の準備が全て揃っているではあ~りませんか!
あとは努力と諦めない意志だけ♪
過去をさかのぼるが、私は音大卒業後やっと
「練習せねばならない」の呪縛から解き放たれ、本当の意味で練習に励んでいた。
極度のあがり症も克服しようと、リサイタルを開催したりもした。
しかしそんな練習の最中に、
指の感覚に違和感…
右手薬指の異変…
恐ろしいフォーカル・ジストニアだった。
シューマンを自殺にまで追い込んだ恐ろしい病魔…フォーカル・ジストニア…
完治率はたったの5.6%、脳の病気なのです。
薬指を弾こうとするとカサッとあらぬ方向に指が屈曲し、意志でのコントロールも不能。
弾けない…
弾けば弾くほどそれをかばう他の手指や掌の筋肉バランス等、全てを失っていきました。
月日と共に悪化し挙げ句の果てには、ド素人の手のごとく右手は弾けなくなっていき…
地獄…
生きている心地がしない日々…
この世を去ってしまおうかとも…
今はジストニアを専門とする有望な研究者がいて頼りになりますが、15年前の当時、ジストニアはまだまだ未解明分野で絶望的だったのです。
しかし結論は、なんと春は訪れました🌸
私は5.6%の完治率のひとりに!\(^o^)/
奇跡です!
この完治という奇跡も、使命を果たす為の神様の計算です♪
でもそもそも、F.ジストニアもへバーデン結節も間違い奏法がタタってのこと。
努力してもピアニストように弾けないのは間違い奏法だったから。
完治後の復活リハビリ(練習)といっても、奏法を変えない限りは過度の練習によりジストニア再発の危険性が大。
私はついているピアニストY氏に相談してみた。
お互いの意見は合致。
そう、それは「基礎奏法のやり直し」です。
ちなみにY氏は日本一のテクニックを持つ実力派ピアニスト。演奏はいつも圧巻感動の渦。
以前から憧れを抱いていたピアニストです。クラシック界においても「難曲も簡単そうにラクそうにと弾いちゃう人」との言いわれ方でも有名です。
で、Y氏の発言…
「弾けるようにようになったら、誰にも出来ない仕事が出来るようになるのかもね…」
!!!
それ!まさにそれです!私も感じてた事!
だから、やっぱり使命なんだ…!
さて、いざ基礎奏法の蓋を開けてびっくり!
日本人の一般的な「常識」とされる奏法とのあまりの違いに驚愕たる思いからのスタートでした。
長年の弾き方を変えるというのは大変な困難を伴いますが、まだ見ぬその獲得のメリットは絶大だと確信はしていました。
ちなみにY氏、音大でも教鞭をとり若手ピアニストをも指導する実力者だが、基礎奏法を教えるのは今回の私が初めて(笑)
よって「教わるだけじゃ出来ないからね!自分で盗んだり研究しないと無理。」
確かに、一筋縄ではいかない棘の道…
この奏法で弾けるようになる為にどんな困難をも乗り越える覚悟はあるし、一生を捧げる決心もしている。
ただ…果たして一生のうちにできるのか?
しかも幼児のようにまっさらならまだしも、ン十年弾き続けて障害を患い、いらない癖までつけてしまったそれらを払拭し、新な奏法を身体に覚え込ませる事は並大抵ではない。
スポーツ選手が基本を変える為に死に物狂いで特訓を受けたり海外留学するのと同じ事。
ただどんなに困難でも私には全ての準備が整っているのです♪
環境、良いピアノ、家族の理解と協力、素晴らしい師…
あとは努力だけ(^^)
すでにこの奏法で指導できる程にはなったけれど、実力派ピアニストからみたらこのレベルはまだまだ…
崇高な音楽はまさに一生を捧げる価値があります。
来る日も来る日も一日何時間もピアノと向き合う日々。
昨日も、今日も、明日も…
私はぜったい諦めないよ♪
今年(2018年)初レッスンを受けて♪

普段は隔週くらいで受けているY氏のレッスン、今回はお正月を挟んでしまっていたので1ヶ月ぶりです。
1ヶ月なんてウカウカしてるとすぐ来るのもまた現実…
前回のレッスンで著しく指摘された問題点だらけの曲の弾き方を研究 & 試演後、いろいろ疑問を感じあえて放置する事に…
そんな矢先に指先をケガして数日弾けなくなり、タイムリミットでレッスン日突入、不甲斐ないまま行くハメに…
もうこうなったら開き直るしかない、とばかりに師になぜ出来てないかを告ることに(^^;
「先生…今日はね、全部が中途半端で自分でも出来てない自覚があるから、先生にどんなに罵られても落ち込まない…」
(↑なぜならいつも厳しい指摘にへこみ過ぎて、この年齢で大泣き(子供泣き)しているから。笑)
と言ったら苦笑され、
「別に罵ってないよ…」
まあ、いつもな感じの会話です。
いよいよ弾く前に改めてもう一度、
「今日のはレッスン受けられるレベルではないし、そんなの持ってこないで、て言われるのは分かってるけど…弾いていいですか?」
「仕事場だからいいよ」と。
(仕事だからだって!笑)
で、不甲斐ないまま新曲2曲と従来曲2曲を弾く。
すると、
「今朝までさあ、福岡にいてさあ、コンクールに生徒達を入賞させてるピアノの先生達も指導してたんだけど、まあ~みんなハチャメチャすぎて酷かった!だから・・・、・・・大丈夫!」
「!!!\(^o^)/」
もうね、二人で瞬間漠笑い!!!(((o(^∇^)o)))
だってだって!Y氏の口から私に向けてこんな肯定的で、しかも励ますようなお言葉をきけるなんて思いもよらなかったので嬉しさ100倍!
\(^o^)/
しかもその後さらに、
「今日、出来てないとか言ってる割には調子いいじゃん!」
だって~!\(^o^)/\(^o^)/
言っておきますが師、ほぼ褒めない先生ですからね!
内心、じゃこれから自分で出来たと思っても念のためレッスン開始前には「出来てない発言」をしようと心に決めた瞬間、私の目を見た先生に心を読まれてしまい、あえなくこの作戦断念w
ちなみに指先のケガが治って練習復活しても、レッスンまでに4日間しかない。切羽つまった状況の中、どう曲目選択をして何を狙いどのように効率よくさらうか、を考えた。まずは先生の聴くツボを抑えることに決めて必死に、でも頑張りすぎずにがんばりました。(私はいつも頑張りすぎて力みが生じたり頭がおかしくなるので…笑)
これが功を奏したのです!
今回、身を持って学んだ重要な事柄3つ。
・上達は練習量ではなく質だということ。(改めて)
・いい所見せよう、ではなく時には出来なさに開き直ることも重要。これは本番でも言えることかも…
・練習には最低限、先生の指摘しそうなツボを予測して抑える。逆に言えば、どんなに練習しても的外れでは全てが台無しに。それどころかむしろ耳もテクニックも壊れる。
ちなみにもし、みなさんがゆくゆくこのピアニスト先生に見ていただく事があっても、もう少しお手柔らかにはなるのでご安心を!
つくづく、私はこのように現役生徒として今現在経験しているからこそ『生徒の身になった言葉がけ』をして差し上げられるのは賜物だなあ…と感ずる次第でございます(^^;
だって前回レッスンより僅かでも良くなってたら褒めてほしいもん!
♪ ♪ ♪
ちなみに、このレッスン終了後の会話
私「罵倒されないで良かった♪」
師「罵倒って、ヒドい…激励と言って下さいな…」
バッハ5声の譜読み

気が重かったバッハ5声フーガの譜読みに着手。
が、この曲のあまりの美しさに譜読みしながら泣いてるやつなんてここにしかいないよね…(笑)
正直あんまり乗り気じゃなかったのこの曲。だって5声は5本の楽器がそれぞれの声部を織り成すいわゆる5重奏、てこと。一人5役てこと。脳ミソ1つなのに、弾き分ける架空5種類の手と聴き分ける耳5つが必要なの。音が絡んでて本当に大変なんだよ。頭ん中聖徳太子にしないとだめ。
大好きなバッハはかなりの数に触れてきてわりと慣れてるけど、5声となるとやっぱり難しい。
そもそもこの曲のプレリュードだけをやりたかったわけで、でもフーガとセットになってるからにはやんなきゃしょうがない。…てことで着手。
まあ、編み物に例えられるね。5配色の編み込み、って感じです、まさに。
ない脳ミソ使って頭かきむしりながら、譜読み独特のポチ、ポチポチ…
なのに、なのに、やってくれちゃうんだよね、バッハさんは…!
途中、長調から短調に転調する瞬間の要の1音がなんとも切なく美しい…!そこでグッときてその数小節後のナポリの和音(悲劇の象徴)で涙ポロ…と思ったら直後に今度はカデンツの終止がなんとピカルディ(短調の曲が最後の和音だけ長調で終止。讃美歌等でよく使われる終止)…
で、涙ドワ~、次いで耐えきれなくなった鼻水もズル~(笑)
もうね、さすがバッハだよ。これだから頭混乱しそうなややこしい譜読みもやっちゃうんだよね…
鼻水すすりながら譜読み継続したのはいうまでもない…(笑)
この曲はね、バッハの平均律 Ⅰ 巻22番。もちろん曲名はないけれどプレリュードはそのアナリーゼ(楽曲分析)から葬送曲。といっても、それはそれは美しい…!少し話が逸れるけれど、私なぜだか鎮魂歌とか受難曲がたまらなく好きでこの曲もまさにそれ繋がり。まあたぶん私、デッカい試練2つ乗り越えられたお陰でそのたびごとに魂2コ死んだ(笑)、って理由はありそうね…今3コめの魂で生きてるの。
不思議なのは、この曲弾くのは初めてだしほとんど聴かない曲なのに、なんかやけに懐かしくて安堵感さえ覚え、遥か遠い彼方の魂が私を覚醒させてくれてるかのよう感覚。深き部分まで私でもよく理解できてしまう不思議…!スピリチュアル的な…(笑)
で話もどして、大好きで始めたこの曲、レッスンの初だしで絶対褒めない厳しいピアニストY氏も
「この曲は思ってたよりも、まとも… ん、全然まとも…!」
(^o^)♪これ、もうスんゴい褒め言葉なんです~♪
「やった!」
て思って、いざ詳細レッスン。
案の定、最初のたった一段だけで20分。はあ、やっぱりか…もう散々に言われまくりの罵られまくり…
「別にイジめてるわけじゃないからね…」
と師匠。でも私の心情は、
「そこまでの高度なレベルを私に求めるわけ?ピアニストでも大半がそこまでやってないよ…」
なんて一瞬よぎったものの、でもでも、
「いかんいかん、プロがやってないからって自分もできなくていい、はあり得ない話」
と自分で自分を言い聞かせつつ…
そう、Y氏は相手問わずご自身も一切の妥協を許さない人。だから私もいつもボロクソ言われズタボロでめっちゃ落ち込むし、悔しくてこの歳で子供泣き的大泣きはしょっちゅう(笑)。だけど、だからこそハングリー精神に火がついて成長している気がする。
(なぜ私がそこまで必死か、1/30更新のブログで書いてます。並大抵でない理由があるのです)
でもこういうプラス的な(これでも、笑)言われ方は珍しことなんです。ふつーレッスンでは先程も書いたけれど、たいてい人間否定も含めて罵られまくり(笑)。でもね、それでメゲてたり諦めてたら、もうとっくにピアノなんてやめてるよ。良い演奏も一生かかったって出来っこない。理想を掴むには、絶対諦めない意志と、いかに全てのマイナスを払拭し、素早く立ち直り、自分と向き合い、立ち向かえるか、の世界。
じゃなきゃ改善と進化成長発展は望めません。
とか言って、そこにナルシスト的要素を盛り込んで自己満に浸ってては意味なし!大事なことは、
『結果』
がすべて。Y氏もよく言ってる。
その為にはメンタルも大事。過去の私はガラス細工のようなメンタル(自分で言うかい、笑)で、生きていく事でさえも困難だったけど、ピアノでずいぶんとまあ、鍛えられたもんだ!
「おばさん年齢」になった、て事もあるかしらん(笑)
ふよみふよみ~少し形にはなってきたので、残り半分もが~んば!!
ちなみに先日知り合ったユーチューバーの方からの依頼で、ドビュッシーのパスピエも同時平行で譜読み。
がんばれ、私!