音楽愛日記
瀕死なのに(笑)
瀕死の右腕なのに使ってしまってるなう(笑)
しかもショパンエチュード10-1(爆)
でも沼地が原因だったかもな右手に少しコンクリートを与えたことで、他の奏法的なことはあまり考えないことにしたらちょっとよくなったかも?
それとも10日間に耳が疎くなって一見よくなったかのような錯覚か?(笑)
炎症は賜物
炎症のため右腕は弾くのをやめて10日経ち、このまま待っていても治る気配なし。なので今、少しだけ弾いてみた。
中央近辺はべつに問題なく弾けるし痛くもないし(元から)、痛みが出るのは遠く離れたの両端。
なので痛くない弾き方をしてみて解ったが、内転のし過ぎはこの時の無理にあったのだと。
これで、内転のし過ぎの全容がみえた!
よし、ここを改善すればテクニック的にも正統的なものになるはず!
いずれ生徒たちにも似たよう箇所が出てきた時、注意喚起してあげられる!
自覚的観点
とあるSNSからの引用
【できること」と「自覚的観点があること」は別のこと。能力値の高い人への指導というのは「できる人に自覚的観点を提供してもっとできるようになってもらうこと」】
これを拝見し、今まさに私はこのタイプだと実感。
そういう意味でも一度弾けなくなった自分が師匠について必死でやっていく中で、自分の悪いものを指摘され自覚し改善する過程の中でさまざまな事を学び、同時に生徒たちにそれらを提供できるのは我ながら建設的な指導だなと思える。
無意識に弾けるよりよほど意味がある。
解剖学的な弾き方は
解剖学的に理に叶った弾き方は、癖のついてない子供であれば意外とすんなり出来る実感。習い始めまっさらの幼児も。
一方で、他教室で悪い癖や滅茶苦茶な弾き方を教えられて身につけてしまった子はなかなか改善に時間がかかる。
私自身も子供時代の初期についた先生がそっちだったので、そうでなければこんな苦労をする事はなかったはず。
まぁ、これが教訓で今の私があるからいいけれども。
だからこそ初期にどんな先生に出会うかは本当に重要‼️